2014年1月15日
株式会社モミアンドトイ・エンターテイメント
代表取締役 川上 統一 氏
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こんにちは。株式会社モミアンドトイ・エンターテイメントの川上です。本日のように、産学官から集まった皆さまの前で話すのは初めてなので、とても楽しみにしていました。私は、1969年生まれで今44歳になります。今日は私自身のプロフィールとMOMI&TOY’Sの事業モデル、海外進出の方法や取組みについてご紹介したいと思います。
学生時代から会社を立ち上げるまで もともと僕はあまり勉強好きではなく、中学の頃から自転車に乗ることばかりをやっていました。ジュニアオリンピックの選考会までいったこともあります。そんなことがあって、大学に行くかどうか進路に悩んだときに、進学するよりは働きたいと思って、自転車メーカーに就職しました。結果、サラリーマンに向いていないなと感じ、会社を辞めてバックパックでアメリカ一周旅行をしました。その後定職にはついていなかったのですが、「人に喜んでもらう・感動してもらう」ことを職業にしたいなと漠然と考えていました。俳優になりたいなとか、おもちゃメーカーになりたいなとか・・・やりたいことを絞り込んでいいて、最終的にケーキ屋にたどり着きました。23歳の時です。
ケーキ屋を創業して、これが意外と繁盛しました。集客のためのビラ巻きなど、やれることを何でもがむしゃらにやっていきました。しかし、当時は決算書の見方も知らず、なんとなく銀行の残高が増えるといいのかなと、キャッシュフローだけを見ていた状況です。そのうち銀行が「お金を借りませんか」と来てくれた、そんなレベル感でした。そのうち、別の事業もやることになり、事業計画や資金調達などもしっかりやっていくうちに、大きくなっていきました。その企業を売却したのが35歳の時です。
35歳という年齢で、これからは徹底的に自分に投資をしてみよう、いろんなことをやってみようと決意し、世界に誇れるようなブランドをつくる決心をしました。そこで、どんなビジネスをやっていくか考えたときに、まずはフードをやろうと考えました。フードの中でも最終的にクレープにした理由は、まず、クレープという市場は大きくはないし小さくはない、微妙なサイズでいわゆるニッチ産業だったので、これならやっていけるかもしれないと思ったからです。また、クレープはフランスの街角の屋台やレストランなどで、コーヒーとサンドイッチと一緒に売られているもので、顧客も多様でした。これを見たときに、「ファーストフードとして生活に根付いたもの(駅そばみたいなもの)であれば、ある一定の市場もあり、そこで勝っていけるのではないか」という仮説が立ったからです。
会社は、巣鴨のワンルームマンションから始めました。「おもてなしのまち巣鴨」とも言われていたので、敵地(→適地)だと思いました(笑)。一部ベンチャーキャピタルに資本を持ってもらって、ドライブをかけましたが、3期目までは大変で、本部は私一人だけなので、私も朝からお店に入ってクレープを焼いて、本部に帰って仕事をする毎日でした。
MOMI&TOY’Sの事業モデルとは? まず、日本のクレープ屋の平均的なものは、フランスのお店よりお洒落っぽい店づくりで、食品サンプルがたくさん並ぶアイコンが店頭にあり、ターゲットは若い女性でした。日本に上陸して40年経ちますが、ほとんど変わっていません。
MOMI&TOY’Sでは、ターゲットを若い女性ではなく、もう少し年齢の高いお客様に「スイーツ」という切り口で提供していきたいと考えました。お店のカラーリングも茶で落ち着いた質感にした。商品名は「とろけるクレープ」です。後発メーカーなのでどう差別化するか考え、本格的なフランスの味にしようと思いましたが、これが非常に難しかったので、真逆でいくことにしました。フランスのクレープの食感がモチモチしているのに対して、グルテンをぎりぎりまで抑えたとろけるクレープにしました。これには、ケーキ屋さんでの経験を活かすことができました。リッチなスポンジケーキを極薄に焼いているものを想像していただければよいと思います。食べるとミルフィーユのような食感になります。だから、クレープと言っていますが、本当はクレープではありません(笑)。また、マーケティング要素で、クリームには海洋性コラーゲンを入れています。お客様が「クレープを食べると太ってしまうというけど、お肌がきれいになるならいいや」と思わせるようにしました。その他、見た目をお花のブーケのようになるように巻いたり、食品サンプルを(→の代わりに)クレープが裸になった形を写真で見せるなどの工夫をしました。その結果、2010年にモンドセレクションで銀賞をいただくことができました。
出店形態も様々ですが、中でも特徴的なものは、モバイルタイプのトレーラーです。商業施設の空地に対して、戦略的に商業区画にして置かせてもらうので、公道使用許可なども取らずに済みました。商業施設側に賃料を払って、しっかり営業をする移動販売業者もなかなかなかったので、重宝されるようになりました。
~アジア・ヨーロッパへ~ 海外展開の手法 2008年(→2009年 ※準備は2008年(4期)に行い、台湾1号店は2009年5月(5期)オープン)から台湾を皮切りに、海外へ出店していきました。アジアの中華圏に出ていくには台湾経由がいいらしいと本で読んだことがきっかけです。それが第4(5)期です。第3期から市場調査をしに台湾に出ました。本部には私一人しかいなかったので、私が行くことになりました。海外事業設立委員会もつくりましたが、やってよさそうだと定量的に説明することが非常に難しかったのです。
結局、肌感覚でとにかく海外に出そうと決意しました。現在、台湾・香港・上海に100%子会社があります。「僕たちは世界に出ていきますよ」とメッセージが伝えられるようになりました。インドネシアとスペインは合弁会社で、FC展開をしています。こうなってくると、いろんな引き合いが来て、毎週3~4回は新規の海外出店の打合せをするようになりました。
海外展開に当たり、実は、専門の営業マンがおらず、営業コストがかかっていません。インドネシアの場合も、大きな商いをされている方やアッパー層のジュニアの方々が、留学で日本に来ているときに、「日本の食をインドネシアに広げたい」と夢を持っている方が日本で見つけてくれて、声をかけてくれたことに始まっています。スペインも日本でうちのことを以前から知っている人が導入してくれました。海外のそういった人々が、日本でいろんなビジネスチャンスを探しているのは日常のことなのでしょう。台湾人は中国人のコントロールが上手くて、台湾に販路を見出すと、中国でも成功する可能性がるのではないかと思います。
上海の浦東エリアのIFCモールという超高級モールに出店しました。経緯としては、IFC側が日本のコンサルティング会社に出店候補探しを依頼し、そこでうちに声がかかりました。一つ、面白い施策の効果がありました。この店では、カウンターの高さを日本の規格より下げて、クレープをつくるスタッフの顔が見えるようにしたのです。すると、お客様に見られている意識から、作り方がだんだんかっこよくなってきて、なかなか笑顔で対応しないと言われる中国人スタッフにも、笑顔が増えてきました。
インドネシアでも、同様に高級なモールに出店しています。こちらは合弁会社なので経営は現地側ですが、継続的な改革をするために、2011年に新卒で入った日本人社員を駐在させています。彼には入社半年で台湾、その後インドネシアに行ってもらいました。人をどう育成して、気持ちいいサービスを提供するかということを、現地の人たちはわからないので、日本人がマネジメントしていく必要があるからです。現地スタッフに面談とロープレを繰り返し、だんだんとサービスが面白いと思えるようになってもらっています。
若手がすぐに外国でこうした仕事をするのは、傍から見れば、たしかに大変なことかもしれません。しかし、2011年新卒のKくんも、おそらく能力でいえば普通なのですが、インドネシアだとマネジャー級で、周りと段違いで能力が高いことになるのです。英語力とハートがあれば、若い日本人でもしっかりやっていけるのだと思いました。
企業理念とロマン うちの会社には、僕が書いた「宇宙征服」という書が掛かっています。時間と空間を表す言葉という意味の「宇宙」です。スペースコロニーが2050年にできるということを日経新聞で発表されているのを読んだのがきっかけです。そこに出店することを一つのゴールとしてナショナルブランドをつくり、わが社を成長させたいと思っています。その時、僕はこの世にいないかもしれませんが・・・(笑)。その思いのスケールや規模感を社員に伝えるために「宇宙」としたのです。そのために、これからも愚直にクレープをつくり、お客様とすべてのパートナーから信頼を得続ける企業づくりに励んでいきたいと思います。 本日は、ありがとうございました。
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