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リーダーの声

2017年6月30日

有限会社兵吉屋 代表取締役 野村 一弘 氏

海女小屋体験「はちまんかまど」

 

 

伊勢志摩サミット開催の地、伊勢志摩国立公園内の三重県鳥羽市相差町は日本一海女が多い場所です。片仮名のトの字のような形をしている三重県の出っ張りを志摩半島といい、その一番先が鳥羽市相差町です。私が小学生の頃は、同級生約90人のお母さんはみんな海女という、まさしく海女の町です。
伊勢志摩の観光名所には、伊勢神宮、仲むつまじい夫婦がよく参拝される夫婦岩、それと、真珠王・御木本幸吉さんが初めて真珠養殖に成功したミキモト真珠島、飼育数が日本一と言われる鳥羽水族館もあります。私たちの町の氏神さんの神明神社は海女さんたちが信仰する大漁祈願や安全祈願をする神社です。
 

 

  

兵吉屋の3つの事業のうちの1つは、「伊勢熨斗(いせのし)」の祝儀袋の製造販売です。海女さんが潜ってとったあわびをかつら剥きにして、干したものを「熨斗あわび(のしあわび)」といいます。その熨斗あわびのついた祝儀袋ですので熨斗袋(のしぶくろ)といいます。本物の熨斗あわびがついた祝儀袋は、日本で弊社しか作っておりません。

それともう一つは、町おこしのための授与品(お守り)の製造です。海女の磯着に見立てた麻生地を伊勢志摩の土で染めて、海女さんたちが磯着に貝紫で文字を描くデザインのお守りを作りました。地元収入にするために内職形態の製造で、地元地域の方たちで作っています。神明神社は女性の願いを1つ叶えてくれるといわれています。アテネオリンピックでは、伊勢志摩出身の野口みずき選手にそのお守りを持っていただきましたら、金メダルを取られて、そのことを女性誌で知った参拝客がどっと来るようになりました。
 

 

 

海女の歴史
私の母はこの秋に85歳になりますが、はちまんかまどの海女頭を務めて、23名の現役海女たちと一緒に国内外のお客様を元気にもてなしております。
海女の歴史は古く2,000年以上も前より、素潜りでアワビ、サザエ、ウニ、ナマコやヒジキやワカメといった海草をとる漁を生業としている女性たちのことです。海女漁では、各地域で厳しく漁期や獲れる貝の大きさを決めて、とり尽くさないような仕組みになっています。1分前後息をとめて3mから5m潜る命がけの漁法で、ボンベを使わないことも、とり尽くさないということを念頭に置かれたことです。
  

 

 

海女小屋体験の開始
現在日本に約2,000人の海女がおります。伊勢志摩には約半数の1,000人近い海女が操業していて、私たちの住む相差町には最も多い108人の海女がおります。しかし、漁獲物の減少や高齢化などで年々減少しています。そんな中、鳥羽市から「アメリカの旅行会社から、海女小屋で海女さんの話を聞きたいという要望がある」と話を頂いたことが海女小屋体験を始めるきっかけでした。当時、海女小屋というのは海女さんたちが着がえたり、漁の後には火に当たり体を暖めながら仲間と談笑するような憩いの場です。いわば女子更衣室のような場所で、海女さんの旦那さんであっても近づかないという、タブーな場所だったので、ほとんどの海女さんが受け入れに難色を示しました。そこで、私の母(当時70歳ぐらい)に相談したところ、街のPRになるのだったらやってみようかと、受け入れをすることになりました。
 

 

初めてのお客様はアメリカの先生団体
外国人の来訪に笑顔いっぱいで歓迎したのが始まりです。初めてのお客様はアメリカの学校の先生をリタイアされたグループの方々で、どこに行くかも知らされていないまま、漁港広場のバス停から海女小屋まで10分ぐらい歩かされ、怒りながら海女小屋に着いたところ、自分たちよりも一回り年上の人が、600mぐらい先の漁場まで泳ぎ10m潜って貝を獲っているという話を聞き、とても驚かれました。
自分たちは学校の先生を定年退職して、これから何をしようかと思いながら日本へ冒険旅行に来たら、70歳過ぎても現役でバリバリ働いている姿に非常に感動して、帰りがけには海女さんをハグして、なかなか帰らないという状態になりました。
 

 

「WITH YOU」お客様と一緒に喜びを共有するおもてなし
この海女小屋体験での触れ合いは、「FOR YOU」お客様のためだけでなく、「WITH YOU」お客様と一緒に喜びを共有するおもてなしです。ゲストとホストという立場を超えた触れ合いがあります。海女の存在をリスペクトしてくれ、過酷な漁について驚きを持って讃えてくれることへの喜びが、またお客様への元気なおもてなしへとつながっています。
私から海女さんたちにお願いしたのは、お盆やお正月に故郷へ帰ってきた家族や親戚を迎えるようなつもりで、お客様におもてなししようということでした。高齢な海女たちの飾り気のない素朴な触れ合いにマニュアルはありません。海女さんと同い年ということに感激していただいている日本人のお客様や、全員男性の海外のお客様が海女着を着て撮った写真を「ええやろう、俺の海女姿」と皆さんに広めていたというエピソードもあります。海女さんの格好をして地元の相差音頭を踊ったり、伊勢志摩の新鮮な魚介を堪能できたと海女小屋の感想ノートにたくさんのメッセージをいただいています。
 

 

海女小屋体験が地域にもたらしたもの
○海女の生きがい
お客様が興味深く漁の様子・日々の暮らしなどを聞いてくれることで、海女という仕事に対する誇りを持ってお客様に対処するようになってきました。
今までは漁協に納めたら終わりでしたが、自分の獲った貝をお客さんが食べておいしいと喜んでくれる姿を見て「よし、これならもっと頑張って沢山獲ってこないかん」と本業の海女漁に生きがいを感じるようになっています。

○収入の増加
魚介の量が減り収入も減っていましたが、漁以外に自分たちが海女小屋で過ごしてきたままの姿でお客さんと接することが、新たな収入につながっています。

○高齢者雇用
高齢の海女が多く平均年齢が65歳以上になり高齢者雇用にも繋がっています。

○若者のUターン
私たちの息子が、祖母や私たちが忙しく働く姿を見て、京都の会社勤めから戻ってきて海女小屋の厨房や海女さんたちのサポートをしてくれています。海女漁が空いた時には、男海人として潜ることもやっています。

○新たな観光地誕生
私たちが始めてから、同じような海女小屋観光施設が8ヶ所ぐらい生まれました。旅行会社での選択の余裕が出来たことで、観光の目的地として選んでいただけるようになってきました。今、地域全体で海女文化を守り育てる機運が出てまいりました。この海女さんの頑張りから海女文化のユネスコ無形文化遺産登録を目指す動きも活発になっています。

○インバウンドの取り組み
2004年アメリカからのツアーのお客様から始まり、翌年には国内のお客様も受入れするようになるとメディアでも取り上げられ、お客様が徐々に増えてきました。
ところが、2008年に外国のお客様も合わせて2,000名を超えると、海女漁に支障を来たすようになってきました。それで、別の場所に新たな海女小屋を築くことになります。
2009年に伊勢志摩バリアフリーツアーセンターにアドバイスを受けまして、全館バリアフリー化施設の110名同時収容できる海女小屋を建てました。車椅子用のトイレや高齢者の方も疲れにくいよう全席畳を敷いたベンチ椅子席にて、ゆったりできると喜んでいただいています。
2013年伊勢神宮遷宮の年にはお客様増加し、翌2014年4月の消費税の導入・増税で国内のお客様は減少しましたが、ビザの規制緩和で外国人のお客様が約6倍の伸びを示しました。外国人観光客の旅行先を大阪・京都などの主流ルートから、いかに地方に誘導するかがこれからの地方活性化の鍵となっていくと思います。昨年より中部・関西圏の宿泊施設が外国人観光客の増加によって満杯状態になってきていますので、宿泊施設の多い三重県にもお越しいただくように徐々になってまいりました。
 

 

バリアフリーから次のおもてなしへ
バリアフリー施設を追求していくと、誰にでも優しい施設になることに気づきました。畳敷きのベンチは外国人のお客様に高く評価していただいています。バリアフリーを推進していくとユニバーサルな施設になっていくようです。次のバリアは何なのか、次の不便は何なのかということをいつも追求するようになりまして、それがお客様へのおもてなしにつながっていくことに気づいてまいりました。
伊勢神宮の遷宮前に、すべてのクレジットカードを使えるようにしたら、海外のお客様にセブン銀行のインターナショナルクレジットカードと同じだけ使えるということで、とても喜んでいただいています。
また、旅先で情報を仕入れられない環境というのは不便だろうと思い、いち早くFree Wi-Fiを導入しました。海女小屋に着いた途端Free Wi-Fiという文字を見て、みんな一斉にスマホやタブレットを開いて、Facebook・SNSに載せたり、ブログを書いたりスマホをいじり出すという現象が起こってきました。お客様の方から海女小屋体験の様子を載せて、それが広がり以前よりも海外の個人のお客様がどんどんと増えてきています。
 

 

ムスリムへの対応
次のバリアは何かと考えてみましたら、宗教のバリアに気がつきました。全世界の4分の1いるイスラム教徒のお客様を今の状態では受け入れできないと考え、ムスリムのお客様用に男女別の礼拝室と小浄施設、ハラール用のメニュー(ノー・ポークなど書いたもの)を整えました。この取り組みが評価されまして、日本政府観光局JNTOさんが作るムスリムガイドブックに海女小屋はちまんかまどが掲載されています。この掲載がまた後々大きな一歩となってきます。
伊勢志摩サミットの第1回中東5ヵ国のプレスツアー開催の受け入れ場所にはちまんかまどが選ばれました。ムスリムの対応ができているということで採用され、礼拝室でゆっくり寛がれ、外務省に評価を受けました。その後、続々と外務省からのプレスツアーを受けることになります。クエートの新聞記者・ベルギー・アジア・中東・アフリカと多くの国から来ていただいています。
 

 

海女文化の継承
現在、海女文化の継承ということが一番の問題になっています。このまま高齢の海女だけでは海女文化は途絶えてしまうと心配しています。海女文化の継承のために若手の海女の育成や、漁閑期の副業の創出支援、海女が使用する漁具の存続、魚介資源の増殖、漁場の保護、漁業権の規制緩和も大切であると思っております。
海女さんは、1年のうち決まった漁期に潜っていて、多い時でも年間100日ぐらいしかありません。ですので、残りの日々をどう過ごすかというのが問題になってきます。相差町には、海女さんが女将で旦那さんが漁師という民宿旅館や飲食店・居酒屋・スナックを経営する海女さんがおりまして、副業が大切になってきます。これからの志摩の海を考え、漁場の保護と海女さんの養成学校が必要ではないかと働きかけています。
海女さんの施設を充実させることも一つの手です。海女文化を説明するのには、海女さんが増えることも必要です。ユネスコ無形文化遺産に登録されたときには、海女さんがその対応をするのも良いのではないかと考えています。
 

(「日本サービス大賞フォーラム」より)

 

※有限会社兵吉屋の海女小屋体験「はちまんかまど」は、第1回日本サ―ビス大賞地方創生大臣賞を受賞されました。