2016年12月12日
「老舗温泉旅館の伝統と
ウェブ・コミュニケーションの融合」
会津若松東山温泉「向瀧」とは
私たちは会津若松の東山温泉で木造旅館を経営しています。24室という小さな旅館ですが、向瀧という名称は江戸時代中期には存在し、会津若松藩の指定保養所でした。廃藩置県の中で1873年、最後の殿様から私の先祖に向瀧を委ねられました。といっても、文献的な証拠はないので平田家がそう思っているだけですが、それだけ古い歴史を持っているので、平成になって文化財保護法の登録制度ができたときには、国の第一号物件として文化財登録を受けました。古い建物ですから、調理場から客室へ料理を運ぶには多いところで80段の階段を上り下りしなければなりませんので、従業員はみな足腰が鍛えられ健康になります。温泉は源泉かけ流しで、男女それぞれの大浴場、予約なしで利用できる3つの貸切家族風呂があります。この家族風呂は小さなお子様連れのお客様や介護を要する方には使いやすくとても喜ばれています。料理は地元の産品を使い、鯉の甘煮など江戸時代にはお殿様しか食べられなかった料理を出しています。かつてはマグロや甘エビを出していたのですが、私の代になってから、今の料理に変更しました。それに伴い板長がやめるなど、ちょっと一騒動はありました。
自然の魅力に手をかけさらに美しく
向瀧の庭や周辺の景色は四季折々で美しく、手つかずの自然美もいいのですが、私たちはそれに少し人の手を加えることでさらに美しくなるように努めています。例えば閑散期の冬、庭は雪景色になります。たくさん穴をあけた竹筒の中で蝋燭を灯しそれを庭に飾ると、穴から蝋燭の明かりが漏れ雪面に花が咲いたようになり、これを雪見ろうそくと呼んでいます。この雪見ろうそくを見に来るお客様が徐々に増えてきて閑散期でも多くの方にご宿泊をいただいています。最初は7本から始めましたが、この前の冬季には98本にまでなりました。最初は私一人で蝋燭に火を点けていたのですが、10年ぐらい前から従業員も「やりたい」と率先して火を点けてくれるようになりました。お客様の中には、冷たい雪の中で火を点けて回るなんて、みんな社長に強制されているに違いないと思われ、従業員の嬉々とした顔を見て「信じられない」という表情をされる方もいますが、決してそんなことはありません。
このように旅館業には建物、料理、季節の風景は欠かせませんが、やはり最後はおもてなしには人が大切だなとつくづく思います。私が向瀧に戻ったとき、従業員の平均年齢は57.2歳でしたが、現在は27~28歳です。これはベテラン従業員をリストラしたわけではなく、毎年、新入社員を採用し、教育を繰り返してきた結果です。
販売経路の模索
私が東京から会津若松に戻った1991年の旅館の有様は酷いものでした。向瀧には昔から営業部がなく、独自の販売経路を持っておらず、たまに気紛れで折込広告やDMを打つ程度でした。もちろん効果はありません。また旅行会社の企画商品に参加しようとしても、向瀧は各部屋の造りが違い条件があてはまらず、旅行会社のパンフレットに載せていただけません。心配になって事務員に聞くと「うちはお得意様が多いですから」と言うので「それは誰だ」と聞くと、結局その人が知っているお客様の名前を挙げるだけで、リピーター台帳も全く活用されていません。こんな八方塞がりの販売活動をどう変えていくかが私の最初の仕事でした。
普通は営業部を作る、DM・折込広告を増やす、旅行会社とタイアップしやすいように部屋を改修するなどを考えると思いますが、今までそれで効果が無く、特に旅行会社は私自身がそれまで勤めていた業界でしたから内情をよく知っていました。彼らは向瀧のことをよく知っているわけでなく、ただこうだろうという想像でお客様に勧めているだけです。そんな情報を聞いてやって来たお客様との間には何かしらのトラブルが必ず起きます。ですから、こういった手法は一回全部捨てないといけないと私は考えました。これには本当に覚悟と勇気が必要でした。
インターネットでお客様と直接つながる
こんな状態で1995年が来ました。この年、Windows95が発売され、インターネット社会の到来だと言われました。私は、このインターネットにすぐに飛びつきました。インターネットでは、メールやウェブサイトでお客様と直接つながれると思ったからです。実際、一人でパソコンを操作し、1996年12月に向瀧のウェブができて、ウェブで予約をいただけたときはもちろんうれしかったのですが、本当にうれしかったのはお客様の本音が聞こえたことでした。それまでも大きな声や態度で文句を言うお客様の声は聞こえましたが「ちょっと枕が硬いわね」という小さな声のお客様の声まで、メールや掲示板を通じて聞こえてきたわけです。そうやって、これまで見えなかったお客様層が見えてきたなと実感しました。実際、サイト開設の日から私は向瀧のウェブに毎日欠かさず、コメントをアップし、それにお客様からの反応が返ってくるようになりました。中に「このウェブはちょっとわかりにくいんじゃない?」というご意見があり、もう一度勉強し直して今のバージョンに更新しました。こうしてお客様一人一人とのつながりに自信を深め、最終的には旅行会社との契約を全部打ち切りました。打ち切りの際、旅行会社からは「向瀧さん廃業ですか」と言われましたが、私はニコニコしながら内心ではウェブで100%自社集客するぞと思っていました。この思いが私の原動力でした。
その後2005年までは向瀧のネット集客は順調に伸び、幾つかのメディアで「ネット集客で効果が出ている旅館」と紹介されました。しかし2005年ごろから、徐々に集客数も頭打ちになり、よく調べるとじゃらんさんや楽天さんなど多くの旅館が参加した予約サイトが活況になり、大きな効果を出していることがわかりました。それに何より、私自身がインターネットの進化速度に置いていかれたという危機感を抱くようになり、自分の態度・考え方を全部見直していきました。私が始めたころのインターネットは接続料金も高かったので、ダイヤルアップ接続方式で必要なときだけネットにつなぐ利用法が一般的でした。しかし2005年ごろになると、ネット料金も安くなり、常時接続が当たり前になっていました。この環境変化を見落としていたことを反省し、早くこの変化に追いつかなければと、それまで参加のお誘いをいただいていたのに100%自社集客にこだわりお断り続けてきたじゃらんさんや楽天さんなどにこちらからお願いして、旅館予約サイトにも参加するようになりました。その効果は2008年ごろから出始めて、旅館予約サイトからの予約数が増えるのと同時に、自社サイトの予約数も再び伸び始めました。
思い出を磨き続ける
そうなると、それまで私一人でやっていたメールの送受信業務も賄い切れなくなり、帳場のスタッフにも頼まざるを得ません。そのためには、それまで私一人が把握していれば返信出来た顧客データ、つまりリピーターかどうか、リピーターなら何回目のご宿泊か、お客様の食べ物の好き嫌いといった属性を係員全員で見られるようにしなければなりません。そこで顧客データベースを作り、アドレス帳と連携させクラウド化をすることで、顧客情報を共有できるようにしました。そうすれば、係員全員がメールを送る際「いつもご宿泊ありがとうございます」とか「この時期は暖かい服装がいいですよ」とか「鶏肉が苦手でしたね」とか一言申し添えることができるようになります。このようにメールのデータを活用することで従業員もまたお客様とのつながりを実感し、1度目よりも2度目、2度目よりも3度目のほうが、お客様に良いサービスを提供でき、よりよい思い出を作っていただけるようになったと思います。そういう活動を私たちは「思い出を磨いている」と呼び、向瀧のパンフレットやウェブの最初に「向瀧はお客様の思い出を磨き続けます」と載せるようになりました。
自分で改良できる柔軟なソフト
データで見ても、向瀧の集客方法は業界平均に全く当てはまらないと言えます。予約の媒体別構成を見ると、直接の電話予約が約45%(業界平均約20%)、自社ネットの予約が約45%(同約10%)、自社以外のネット予約が約9%(同約20%)、旅行会社経由の予約が約1%(同約50%)です。以上のようにネット予約の過去データの活用はできましたが、残る問題は45%を占める電話予約のデータの活用です。そもそも電話予約のデータは残っていなかったので、まずはこれを残したいと思い、必要なハードやソフトを探しました。そして約300万円するソフトを見つけたのですが、この金額は小さな旅館には大きな負担です。どうしようかと悩んでいると、ついに安く、しかも自分でカスタマイズもできるソフトを見つけました。このソフトのベースはファイルメーカープロという汎用性のあるソフトでできていて、私も使ったことがありましたので「これは良い」と迷わず導入しました。このシステムでは、お客様からの着信履歴のほか、いつ、どんなプランで泊まったか、食べ物の好き嫌いなどの注意点も入力でき、入力されたデータを見ながらお客様と会話できます。そうやって、お客様のことを知りながら対応できると、お客様も従業員もお互いにより近づいた気持ちになれて、先ほど申し上げた「思い出磨き」を予約の段階からできるようになりました。
このように向瀧では徐々にITを導入してきました。調理場にもパソコンを導入し、調理場の人間が直接、お客様に出す料理の献立表を入力し、それを帳場の人間が帳場のパソコンで出力し、料理に添えてお客様にお出しするようにしています。その際、予約の段階で苦手な食べ物があることがわかれば、調理場へも情報共有され、板前さんたちがそれを見て献立を変更します。そして変更された献立表がお客様に届くという仕組みになっています。このように旅館全体で情報共有体制を作っています。また情報管理の面もバックアップを二重三重にとるなど、十分に行っています。
「間」の魅力を成長させていく
先ほど「向瀧はお客様の思い出を磨き続けます」と言いました。思い出には3つの要素があると思います。いつ(時間)、どこに(空間)、誰と(人間)と行ったか。普通は車などのように時間の経過とともに物の価値は下がります。しかし、例えば建物を冬の雪から守るために一生懸命雪下ろしをするなど建物を磨いていけば風格が出てきます。板前も、年齢を重ねるごとに包丁の技を磨いていけば、すばらしい料理を出せるようになります。こうして、物や技を通じて己を磨いていくことでお客様の思い出を磨いていけるようになると思うのです。
情報も同じで、それを管理・活用することで、お客様との電話やメールのやり取りが磨かれます。そうやってすべてを磨いていくことで、時間・空間・人間に共通する「間」が魅力的なものになっていきます。この魅力的な「間」が、それぞれの会社・組織でしか出せない独自の味とも言えるでしょう。こうした「間」の魅力を組織的に継続的に成長させていくことが「思い出磨き業」だと私は考えています。
向瀧では社員全員で独自にお酒を仕込み、毎年1回のその解禁日には社員それぞれが瓶を抱え、すばらしい笑顔を浮かべます。こんな社員が働いている旅館ですので、ぜひ会津若松にお越しいただければ嬉しいです。
(「SPRINGシンポジウムin鹿児島」)
※株式会社向瀧は、平成15年度(2003年度)会津若松経営品質賞大賞を受賞されています。