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リーダーの声

2014年4月11日

株式会社はなまる 代表取締役社長 成瀨 哲也 氏

「株式会社はなまるが進める人づくり、組織づくり」

皆さま、こんにちは。本日は講演の機会を頂きまして、ありがとうございます。株式会社はなまる代表取締役の成瀨です。今日ははなまるうどんが何をやっているかというお話と、僕なりの経営に対する考え方についてお話ししたいと思います。経営については時間内に語りつくせませんので、リーダーをつくるにはどうすればいいのか、というような話についてはほとんど触れません。僕が今までどういう所でどうい葛藤があって、何をどういうふうにやってきたのか、その中で気づいたことについてお話ししたいと思います。

 
現在僕は46歳で、はなまるでの社長歴は2年もありません。その前は「カレーうどん千吉」を運営する株式会社千吉で35歳から社長をしていました。その後、吉野家、はなまる、と移りました。そんな経験の範疇でのお話しですから、諸先輩方には失礼なお話になるかもしれませんが、あくまでも「僕の切り口」であることをご容赦いただき、お聴きいただければ幸いです。
 
 
自己紹介
1967年、富山県富山市生まれです。高校卒業まで富山にいました。卒業後は、親元から逃亡したいと思い、名古屋の大学に行きました。そこですぐに牛丼の吉野家でアルバイトを始めました。1986年の4月27日でした。なぜ吉野家に入ったかと言うと、アルバイト情報誌を見たのですが、時給は高いし(当日650円)、まかないつきで、休憩時間が有給、交通費・ユニフォームも支給とあって、とても良い条件だったからです。京都で一度食べたことがあるけれど地元にはなく潰れたお店というイメージでした。名古屋市内では牛丼屋が吉野家しかない当時は小さい会社でしたが、入った店の2階に地区の営業所があり、会社のお偉い方がたくさん通るのでいいお店でした。アルバイトの人たちもモチベーションが高く、社員のように働いているので、いい環境だなと騙されてそこで働くことになったわけです。アルバイトは入った順に番号がついて、早く入っただけで先輩になるので、大学で僕より先輩だった方がお店では後輩になり、「成瀨さん、何をしたらいいんですか?」なんて聞かれるので、居心地が良く、気づいたら2年間経っていました。大学では2単位とれなくて3年に上がれずに、そのまま入社して、かれこれ26年間飲食業という世界にいます。吉野家に入って9年間過ごしました。最初3年間は店長をやりました。その後6年間はスーパーバイザーとして途中大阪にも転勤し、店長の上司をやっていました。ここで一旦、吉野家人生は終わります。
 
話は変わりまして僕の家族構成を紹介します。・・・僕は結婚するのが好きなんですね。しかも地域別です(笑)。最初は名古屋で大学時代、吉野家入社前に結婚しました。大阪に転勤するタイミングで、95年の震災のときに離婚しました。大阪に移ってから同棲を始めたのが、次の奥さんです。現在中学1年の長男を筆頭に、下は今年の春小学校に入学する子までいて、男3人・女2人の合計5人家族です。僕のサラリーマン人生はあと10数年しかないのに、一番下の子はまだ小学校に入ったばっかりで・・・今も塾代の他にスポーツに一人3万円もかかるので、これがけっこう響いています(笑)。子どもは大好きです。そして名古屋・大阪ときたら東京でも結婚するの?と思われるかもしれませんが、それはこうご期待です(笑)
 
 
はなまるの概要
はなまるはまだ若く、創業は2001年の11月22日(いい夫婦の日)です。創業者は前田さんと言って、吉野家に株を売った超大金持ちです。でも僕がコーヒーを飲むとお金は払わされます(笑)。ものすごく面白い方で、外食経験はまったくありません。四国の高松で主婦の家庭用のアパレルをルート販売する小さい会社にいました。讃岐うどんは香川に900店もあって、そこで朝から晩まで入客数をカチカチ数え、「なんだ、こんなにお客さんが入るのか」と思ったそうです。僕らだったらそこで収益表をつくって、「これくらい儲かっているんだな」で終わってしまうのですが、彼はすごくて、これを1000店の会社にするイメージを持っていたようです。そういう方が2011年に会社を立ち上げ、1年間に160店舗つくるような会社になっていきました。
 
外食産業は、いいことをやっても、最後は価格戦争になります。他企業が安くしていたり、株主の要請があったりして、価値をもっと高めなければいけないという大義名分があるかもしれませんが、どんなにいいものをつくっても、価格で最後は勝負になってしまいます。そこで、グループの社長が5年くらい前から今の論理で、「健康」というものが武器になるのではないかと考ました。「コクうまサラダうどん」のレギュラー化、健康保険証提示で割引する「世界初!うどんに健康保険証、適用!」などです。また、「レタスまるごとサンプリング」といって、新宿などで無料でレタスを配布し、テレビに取り上げてもらいました。安い広告費でいかにコトを起こして、テレビ局等にフックをしていただくかが重要となるからです。
 
また、去年の4月1日エイプリルフール企画で、この日だけHPを刷新して、「ダイオウイカ天」発売をリリースしました。前年のNHKスペシャルで2位の視聴率を獲得した幻のダイオウイカを丸ごと天ぷらにして発売、という「嘘」をつくって話題を上げました。嘘でも丁寧につくりこんだことで、ネタがブレイクしました。その他にも「ふつうのことばかりでは面白くない」として、様々なプロモーションの試みをしています。
 
 
3社での経験
(その1 千吉時代)
千吉の発端の背景は、吉野家のカレー部門が分社化して2000年3月にできたものです。当時僕は部長として着任しました。1年目は営業部長、2年目は商品部長です。吉野家の商品の仕組みを全部導入しました。そうこうしているうちに、事業がうまくいかないので会社を清算しなければならないことになったのですが、当時グループの社長がどうせなら何かやってみてはと言われたので、「カレーうどんやります」と手を上げてやることになりました。最短最速の研究開発期間で、セゾン総研に調査をしてもらい、見事に吉野家基準の70点以上をもらいました。カレーうどんの古奈屋と同じくらいいいものを半額で提供することを目指しました。結果、好反響を得て渋谷・道玄坂にお店を出すことができました。ビジネスは一から始めるとスピーディーにできるものだなと感じました。
 
また、とてもいいことが一つありました。千吉の社長を僕の後輩が継ぐことになりました。吉野家HDのルールでは、事業会社の当該社長が後継者を指名することができなかったのですが、広いグループの中で、たまたま自分の後輩に継いでもらったことはラッキーだなと思います。彼自身がすぐ親を頼ってくるので、一時期無視をしていたのですが、酒場で泣かれたことが二回ありました(笑)。そして、経営ということを自身で理解してくれるようになりました。僕がいなくなってから、彼は既存店前年比を何十カ月も超える結果を出しています。いいリーダーをつくれたと思っています。
 
 
(その2 吉野家時代)
2010年9月、その頃吉野家が全くイケていなかったので、当時グループトップの安部社長に、千吉と掛け持ちでもいいから吉野家をやらせてほしいと直談判しました。グループで最小の千吉から最大の吉野家に移って感じたギャップは、とにかく「大企業病」であったことです。千吉では棟梁である自分が管理を切り盛りできていましたが、吉野家では縦割りで部門ごとにいがみ合っていました。大企業病は、中にいるとわからないものなんですね。そこで、少数精鋭の未来創造研究所なるものを立ち上げて、横横断にしました。新しいビジネスモデル、新しい未来を、実験をしながらつくっていきました。大きな部門の営業・商品・開発をつながないと、良いものは作れないからです。ですから、しんどかったですが面白い経験でした。
 
(その3 はなまるに入って)
とにかくはなまるでは、「バカバカしいことを真面目にやる!!」と言っています。「アホなことを真面目にやる」ということです。できない上司がだいたい言うのは、「アホかお前」です。これの翻訳が「アホかお前、こんなことを俺が上司にどう説明するんだ」で、保身の塊ですよね。そこでいい話が終わってしまいます。そういう会社で「改善改革」とトップが騒いだところで、下で潰されてしまったらトップの耳には入ってきません。僕は現場でどんなにアホと思われることでも、きっちりやってパフォーマンスを出したら上司は認めてくれる、ということをやってきているので、アホな話でも真面目にしろと伝えています。実は先ほどのダイオウイカの提案の前は真面目な提案ばかりでした。だから提案は却下されるのではないかと、部内で相当もみ合っていたようです。そして、僕のところに上がってきた時に、「やってみたらいいじゃないか」と答えました。それは作り込みも含めてちゃんと筋が通っていて、しっかり臨場感を持ってやりますと説明してもらったので、それが揶揄されようが何をされようが、最後謝って済ませるのは僕だし、ダメだったら自分が責任を取ればよいのだからと思ってGOを出しました。はなまるで大きな決断をしたことは食物繊維麺導入、価格改定などですが、お陰様でうまくいって、客数はまだ伸びが足りませんが、売り上げは伸びています。ここで社長をやっていて、毎日明日がくるのが楽しみです。
 
 
さいごに
経営におけるリーダー像は、「躊躇せずに決断する」ということだと思います。あるセミナーで聞きましたが、答えがあるものと答えがあるもの、または答えがあるものとないものの間で比べてどっちにしようと考えるのが判断で、答えがないもの同士の中で悩んで決めるのが決断です。先ほどお話しした価格改定などがそれです。躊躇せずに決断するけれども、人を巻き込んでやっていかなければなりません。特に経営者は文句言いではなく、実績を出さなければなりません。自らの責任の中で自分の言葉を発信して、会社全体の利益と成長を着実につくっていかなければならないのです。
 
また、僕の心の中にあるリーダー像には、色々な要素があります。まずは「遊び心」。仕事ではこれがないとやっていけないと思います。僕は遊び大好きです。そして、物事を見る「バー度合」です。上から目線ということではなく、高いとことから俯瞰して見ていかなければならないということです。特に飲食業では、現場と現実と現物で何が行われているのか、お店と本部が両輪でどう動いているのかを理解していないといけません。やはりお客様がいらっしゃってなんぼの世界なので、この中で、現場が何を考えて今何に対して言いたいけど言えないのかを知ろうとしなければいけません。自分のやっている方向が合っているのかを示す鏡が現場です。これを上手く使っていくのがリーダーではないかなと思います。それから「探究心」です。しょうもないと思うことに興味を持っていないといけません。この味はなぜこんなに美味しいのだろうとか、常に関心を持っているべきだと思います。そして、「フィードバック」です。あるゴルフのコーチの本に書かれていることが面白かったです。フィードバックは「風邪をひいている自分に気づくこと」だそうです。つまり、自分が今どうなっているか、自分が自分に対して気づくことです。ですから、部下や後輩に、自分で気づいてもらって伸びてもらうということに僕は一番関心があります。
 
最大のリーダーとは、自分の(リーダーの)背中を見て部下が気づいてくれて、部下が自発的にそうなりたいと思ってくれる人だと思います。僕ははなまるに入って半年間、「社長は何も言わない」と言われました。でも、「来て半年のうちに方針を指示していたら、君たちどう思ってた?」と。皆、答えられないでしょう。まずは会社の状況を知ってやろうと思いました。そこで、毎日社内の人間と飲みに行きました。それにも「一部の人間としか飲み歩かない」と言う人もいましたが、「じゃあ、お前、誘えばいいじゃないか」と(笑)。いまだにその活動は続けています。今年の3月からは、そろそろ外部の方々とお願いしたいなあと思っています。自分の会社の人たちがどう思っているかを知る、会社が今どうなのかを外から知る、それもやはりフィードバックですよね。自分から知りにいくことが大切です。そんなことをやって、今自分の会社が軌道に乗ってきているという状況です。一番うれしいのは、やってきた施策があまり悪くなかったということですね。これまでの経験が自信になりました。
 
ご清聴、ありがとうございました。
 
成瀨社長講演後の、参加者同士の意見交換の様子
 
最後に、株式会社ルネサンス代表取締役会長・斎藤敏一氏(SPRING幹事)の
総括コメントにて締めくくりました。
 
(以上)
 
成瀨哲也氏・談 
SPRINGフォーラム2013 次世代経営人材セミナー(201423日開催) 講演録
 
※本記事は、講演内容を事務局にて編集し、掲載させていただきました。詳細のお話を盛り込んだノーカット版は、後日開設予定のSPRING会員専用ページにて限定公開いたします。ぜひお楽しみください。
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株式会社はなまるの詳細情報は、下記公式HPをご覧ください!